品番 01-1463
大業物、岐阜県重要無銘文化財保持者
現代刀 濃州住兼秀作 二尺四寸八分 拵入 白鞘付
- 商品価格(税込)
- 480,000円
種別Category | 刀 | 刃長Blade length | 75.2cm |
反りCurvature | 2.2cm | 目釘穴a rivet of a sword hilt | 1個 |
元幅Width at the bottom part of blade | 34.2mm | 先幅Width at the top | 25.1mm |
元重Thickness at the bottom part of blade | 7.7mm | 先重Thickness at the top | 5.6mm |
重量Weight | 刀身940g、抜身1,290g | 時代Period | 昭和 |
銘文Signature and Date | (表)濃州住兼秀作 | ||
登録Registration Code | 昭和34年4月30日 岐阜県教育委員会 |
品番 01-1463
<体配>
鎬造り庵棟、身幅やや太く重尋常、鳥居反りで中峰。茎は生で鑢目は筋違い、茎尻は栗尻。
<地鉄>
潤いのある板目肌に杢目が交じり、刃寄り流れて柾心を見せる、地沸よく付き地景入る。
<刃紋>
互の目乱れ、尖り刃を交え足良く入り、刃緑良く沸て砂流しかかり銀筋流れ、刃中簾刃を見せ葉がはいる。帽子は乱れ込み小丸に返る。
<特徴>
濃州住兼秀、本名は中田勇、大正2年8月24日、長野県木曽郡大桑村に生まれ。昭和3年大桑村の尋常小学校卒業後に高知県安芸市の十二代川島正秀鍛錬所へ弟子入りし、8年間の修行終了後(この時の銘は正直)の大正12年2月
、岐阜県関市の渡辺兼永刀匠の日本刀鍛錬塾に入塾、昭和12年10月から15年10月まで鍛錬塾の塾頭となる。昭和13年10月にヒットラーユーゲント12人が関市を訪問した際には、若き兼秀刀匠達
が31口の短刀を作成し桐箱に入れてヒットラーユーゲント団員全員に贈呈された(余談ながら、この短刀は平成18年にドイツから関市に変換されている)。その後はヒットラー、ムッソリーニ両首相に日本刀を献上する。
昭和16年には関刀剣株式会社へ陸軍受命刀匠として入社、優秀な鍛錬技術を認められて東條英機総理大臣に軍刀を献上するなど華やかな経歴を持つ、昭和前期を代表する刀匠である。
戦後は関鍛冶の復興に尽力し、昭和30年日本美術刀剣保存協会主催の作刀技術発表会での初入選後は努力賞2回、入選13回を連続受賞する。更に昭和32年には天皇、皇后両陛下への献上刀を鍛錬、昭和38年に『兼秀日本刀鍛錬所』を
設立して日本刀の鍛錬と研究に専念した。その後の昭和51年12月22日『関市重要無形文化財』認定、翌52年3月11日には『岐阜県重要無銘文化財』に指定される。また2年前に他界された正直刀匠は弟子で有り娘婿にあたる。
本作、兼秀刀匠46歳全盛期の作で、戦前から脈々と続く実戦刀の血が流れている刀です。刀身の出来は抜群で刃肉も薄く刃はビンビンに立っています、拵も新調したてで、試斬に最適な一振りです。
<拵え>
ハバキ:銀無垢一重の腰祐乗。
鍔 :鉄地木瓜形柳生傘の図。
縁頭 :柳生傘の図。
目貫 :粟の図。
柄 :鮫は黒染で親粒が付き巻き鮫、柄巻きは牛スエード焦げ茶の諸摘み巻き。
鞘 :焦げ茶色の叩き塗。
<刀剣の状態>
研ぎ: 概ね良好です。
傷: 欠点に成るような傷は有りません。